絵を描くとは活元運動だ。/4月17日

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天然酵母パン、初めて作ってみました。
天然酵母エキス作りからちょうど1週間。
素材の旨さを存分に味わえるパンはお腹も心も満たされます。
そして酵母が可愛いペットになりました。出来る限り繋いでいきたいと思います。

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今日は1日中、雨降り。靴の絵を描いてみました。
恵子さんに描く前にアドバイスを求めたら、「無心で描け」とそれだけ。。
どこから手をつけたらいい?なんて聞こうものなら、「そこからもうダメ。」とダメ出し。
でも自分がどんな絵を描くのか、そこにすごく興味が湧いてきたので
わからないままやってみることにしました。

光をどう描けばいいのか、
どうしたら皺の波を表現できるのか、
まったくわからない。
だからまず描いてみる。イメージと違ったらやり直す。それを繰り返す。
それに夢中になれる。とても面白い。あっという間に30分。

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<1枚目 COMMON>
1枚目を恵子さんに「よく頑張った!無心でしょ。」とほめてくれて
自身なかったのですが、すごく嬉しかった。
下手くそなんだけど、味のある絵になった気がした。
そして、自分の絵を初めて観て、自分らしいなぁと思った。

いい気になり、1回目よりももっとうまく手際よく描いてやろうと、2回に挑戦。
あっさり「無心」のことを忘れてしまう。
そんな2枚目は上手だけどなんだか魅力がない。
まず描き方が明らかに変わった。
1枚目の時は、手探りで少しずつ上手くとか速くとか一切考えずに手を動かした。
今思えば、正真正銘の活元運動だ。
でも、1枚経験したことで、描き方(技法)が身についてしまった僕の描き方は
明らかに技法を使い、靴を描くという意識よりも、上手く描くという意識に囚われ、
出来るところから描いていった。
迷いがなくなったは良いのかもしれないが、
一筆に力がない。集中力が欠けているのは僕の未熟さ。
本来なら、迷いなく力ある線にできるはず。

時間についても、最初は一体のどのくらいの時間がかかるさえ
検討もつかなったが、1枚30分くらい描けることがわかってしまうと
2枚目の基準になってしまい、描くスピードも前回を意識してしまい
1枚目を描く自分がうっすら重なって自分に纏わりつく。
それがすごく気持ち悪くて、集中できない。
周りに人がいて、同じものを描いていたら、もっと集中できないのかもしれない。

恵子さんにも「絵を描くのは座禅組むのと同じ」と指摘され、
絵の難しさを少し経験できた一日でした。

でもすごく面白い。

どうしても描いているうちに
靴の印象が変わっていく。
靴は動いていないから、変わっているのは僕と時間と光。

一瞬を切り取る写真とは違う、
変わっていく自分を含めた環境と時間を含んだ絵の奥深さ。

30分の中でも最初の10分は全体をみることができず、
後半になってやっと全体を捉え始めると、靴の存在感をそこでやっと見ることができる。
特に完成かなとなって、見比べた時に愕然とする。全然靴を描けていない。。
この30分、僕の眼が追ってきたのはなんだったのか。
もっと最初から全体を捉え、靴を見ることができるようにならないといけない。

1枚目と2枚目を比べると、2枚目の方が上手いことは確かだと思う。
でも1枚目は比率もおかしいし、わからないところは投げやりなところもあるのだけど
実物と見比べると実は違和感がないのは、1枚目のほう。
2枚目は実物と比べると、すごくギャップを感じる。

そこでわかったのは、
1枚目で苦労した眼で見てわからないところを
2枚目はわかったふりして描いたのだと。
目の前のものを描かずに、なんとなく頭の中に既にあるイメージと混ぜて描いたのだろうと。
その点わからないところをわからないままにした1枚目は
目の前のものに嘘を付いていない。だから違和感がない。

どれだけ目の前のものと溶け合うことができるか
それが相互運動でもあるだろう。

3枚目どうしようかなと思ったけれど
これ以上やるとドツボにハマりそうでやめました。
たまに活元運動だと思ってやるのがいい。同じ絵は描かない。

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<2枚目 COMMON>

2021.4.18家族