命の繋ぎ方/8月31日
「いつもの小林さんじゃないなぁ」
数年ぶりにお会いした丹羽先生は僕の印象をそう表現した。
体幹がふらついているようで、本来丹田にあるべき中心が首まで上がっていて
ずっと気の抜けない緊張状態になっているようだった。打撲している状態に近い。
邪気の吐出の再確認(首と両手首、両足首)と、丹羽先生の操法後の感覚は
風邪を経過した後の爽快さと同じものだった。
身体が軽くなって、皮膚に接する空気にさえ心地よさを感じるほどだった。
「体と気のズレを元に戻すと、いつもの自分に戻れます。」
思い返せば、今年に入ってから
仕事のこと、家のこと、子どものこと本当に忙しかった。
最近すこし無気力になることもあった。
そんな危険な状態である自分にまったく気付くことができないことの危うさ。
20代のころ働き過ぎて、日常的に幻覚症状がでていて
そんな身体の信号が赤だとわかって進んでしまっていた時のことを思い出した。
その時は東京から遊びに来てくれた親友に指摘され、我に返ることができたけど
今日は丹羽先生に助けていただいた。
「自分では気付けないもんなんですよ。」と。
余談ですが
おそらく僕はあのウイルスをすでに経過している可能性が高いらしいです。
ほとんど経過できているけれど、あとちょっとという状態が続いていたようでした。
それも今日でしっかり経過できて、明日からいつも通りの仕事ができそうです。
この人体もウイルスも、僕にはよくわからない。研究者でもないし、
そのへんに飛び回っている情報を集めても、頭で理解できることじゃないとハッキリ思った。
僕だけじゃなく、たぶん人類みなわからないだろうと。
なのに、みなわかったような気になりたがる。わかった気でいる。コントロールできると勘違いしている。
見えもしないウイルスを可視化することの愚かさ、人の傲慢だ。
わからないものを、わからないまま受け入れられること。
そこに起きる反応と向き合い、自分をアップデートしていくこと。
僕らはずっとそうやって命を繋いできたのではないだろうか。