靴ではない歩くためのなにか/4月12日

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先日仮合わせ靴のフィッティングが悪くて、仮合わせの作り直し。
幅がきついとか、指が当たるとか、そういうレベルの問題ではなく
もっと大きくズレていた前回の仮合わせ、僕はどうして失敗したのか。

足に合わせるとは、足のままでつくることとは違う。
自分の信じる心地よい感覚をいつの間にか押し付けることをしていたと気付く。
それでは「靴とはこういうものだ」と言って話にならなかったという他の靴屋さんと結局同じ。
「僕は違う」なんてよく言えたものだ。ほんと申し訳ない気持ちだった。

義肢と装具の大きな違いは
義肢は無いところに付けるもの。
装具は有るところの上に足すもの。

装具も靴も同じだとすれば、それは余計なものには違いない。
≪歩くこと≫には余計なものを足す。
靴は歩く道具ではない。足が歩く道具だ。本当は靴は歩くことには必要ない。
もっといえば、歩こうとする気持ちこそ、歩く道具だ。

靴を履きたいのは、歩くためじゃない。

先日いらした脚長差が2センチ以上あるお客様も
「このままでも歩けるんです。でもその歩き方がグラグラしてぎこちないから
 周りの人が心配してしまう。それが気になってしまうから靴でバランスをよくしたい。」と話してくれました。
歩くことが不自由だからという理由より
周りの目が気になるという理由のほうが靴をつくる動機として大きい。

足にままで歩きたい、と思う人は実は多いのかもしれない。
靴は仕方なく履いている人はとても多いのだろうとも思う。

今回、靴をつくることはやめました。
靴ではない外を歩くためのなにかをつくる。