オリジナルをつくるということ。その1/1月30日

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今日シューベースの最終調整をしていて
修行時代のことを思い出した。

僕に足のことを教えてくれた大阪の義肢装具会社の会長は
義肢装具技能士日本1号の方で、
誰が何と言おうと日本義肢装具会のレジェンド。

会長がつくる足底板はこの世界で数人しかつくれないという
超職人レベルの装具だった。

会長は足底板(インソール)のことをアインラーゲンと呼んでいた。
会長が仕事を始めた時は、義肢装具の勉強はアメリカやドイツの書物だったらしい。
当時はまだその日本語の教科書なんて存在しなかったのだ。
アインラーゲンとはドイツ語でインソール。
足底板という言葉も会長が訳したのではないかと、僕は思っている。

その素晴らしいアインラーゲンを会長から受け継ぐため、
また手技を学ばせてもらうため、
時間をつくって練習させてもらえることになった。
1年ほどで形にはなるようになったけれど、
最後はいつも会長のチェックが入り、手直しをして頂いた。
何百足もつくったけれど、合格は一度もなかった。
どこかまずいのか説明はなかった。正直どこを直したのかもよくわからなかった。
でもここがダメだとかいうお叱りを受けることもなく、
チャチャっと1分も経たないくらいの調整をして、これでよし。と返してくれた。
僕はこのやり取りがまんざらでもなく好きだった。

ある日、お客様の依頼で
別の会社の同じようなアインラーゲンの修理をする機会があった。

僕はそれを見た時、これは同じアインラーゲンか!?と正直目を疑った。
綺麗ではある、すごく教科書的で、でも無機質で、人が身に付けるものとは思えなかった。
会長がつくるアインラーゲンはもうこの世界に数人しかいない。
その意味がよくわかった瞬間でもあった。

会長は誰かに習うことなく、腕を磨いてきた。
もし習うとしたら、それは本からではなく目の前の人からだったはず。
目の前の人に同じ人、同じ足はない。正解はいつも変わる。
教科書で育った僕は、正解をみつけたらそれにしがみつく。
会長がいつも手直ししてくれていたのはなんだったのか、
いまはなんとなくわかる。
実際にそのアインラーゲンを身に付ける人を知らない僕が完成できるはずもなかった。
会長は僕がつくった名無しのアインラーゲンに名前をつけていたのだと思う。

具体的な会長の凄さは、また明日に続く。
本当はそれを書きたかったのに、今日はここまで。