田植え2020 二日目/5月24日

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今年は子どもたちに田植えから収穫、脱穀、精米まで体験させるつもりだ。
特に多聞。
保育園までは田植えを経験させてもらっていたが
小学校になってからはパッタリだった。
小学3年になった多聞と、田んぼ三年生になった僕。
今年は一番いいタイミングだと思ったのは訳がある。

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今月、初めて同級生の家まで
多聞はひとりで歩いて行った。
距離は歩いて10分ほどの距離だが、
アップダウンもあり、横断歩道もあり、歩道のない場所もある。
自らの意志で、なんの躊躇もない「行ってくる!」という言葉とその後ろ姿に
僕はとっても驚き嬉しかった。
多聞の世界の半径が広がった瞬間だと思う。

家を作りたいといったり
自分の部屋が欲しいなと言うようにもなった。
寝る時も一人でも大丈夫なようだ。(お気に入りの恐竜のぬいぐるみを傍らに)

少しずつ少しずつだが、巣立ちに向けて準備が始まっているような気がする。
何ができて何ができないのか
身にもって知ることが大事だと思う。
それは毎年毎年変わることだ。
出来ることが増えるだけでなく、出来なくなることも増える。
そうして、子供から大人になっていく。

僕はこの歳になって、食べ物をつくることを身をもって知った。
それは想像以上に奥深くて、とても気持ちよいことだった。
出来ないことが出来た喜びは、子供だけの特権ではない。

子供たちにはいつまでも挑戦していってほしい。
何でもやればできるとは言わない。
でも何歳になっても
やらずにはいられないことに目を輝かせて生きていってほしい。

自立することは一人で生きていく力ではなくて
自分の世界を広げていく力。
自分の潜在力を掘り起こす力。

僕も多聞も聞司も、それは変わらない。
今年の田んぼはその共同作業だと思っています。

「9歳の危機」シュタイナー教育で言われている
幼少期の重要な変化がある時期。
これまでずっといっしょだと捉えていた親が自分とは違う存在だと気付く時。
僕はそれを親から子が離れていくという目線で捉えていたけれど
今思うのは、
子供の世界が広がっただけで、親から離れてはいない。
親は灯台のように彼らの一番安心できる場所に立っている。
僕はその明かりをより遠くまで届かせるようになりたい。
そしてその明かりをどんなに離れていても受け取れる人になってほしい。
そんな関係になりたい。

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多聞が2年前に来ていた服が
最近では聞司に受け継がれている。
こうしてみると聞司と多聞の区別がつかない。
大きくなった。
多聞よりも器用だが、その点で甘え上手。次男らしい。

2020.5.24家族, 自給自足