the day of MIDORI/6月10日

今日は楽しみにしていた≪みどり≫のライブの日。
ひと月前にこのイベントを知り、間髪入れずにメールして予約をいれた。大人一名の予約。
こんなことは今までになかったことで、自分で自分に驚いた。
でもこれはどうしても聞きたい。と揺るがすことのできない意志が働いた。

そして、迎えた今日は、もう散々な一日だった。
早朝アルバイトで、他人のミスを正して、その人は不貞腐れ逆切れされることから始まり、
分室前に少しだけ仮眠を取ろうとしたら、電話がなって眠れなかったり、
分室での仕事を終え、禁酒会館のアクセスを調べようと思ったら、タブレットの充電がなくなったり
ライブには汚れた靴では敬意がないので、新しい靴を履いたら、水溜りに足を突っ込んだり。
岡山駅から禁酒会館まで歩く途中で夕ご飯を食べようと思っても、
入りたいと思うお店はことごとく、その大通りの反対側で、
逆サイドのほうがお店があるのかなと思って、次の信号で逆に渡ると、今後は元のサイドにお店が現れたり。
開演5分前にやっとのおもいで辿り着き、ほっとしたところで
終いには、予約の名前を告げても、主催者側のミスで予約者名簿に名前がないという入場トラブル。
「いつ頃メールしましたか?」「返信ありましたか?」などとまったくメールのやり取りさえ記憶にないらしい。
朝4時から始まり、ようやくたどり着いた一日の最後の楽しみの場で、これはあまりに酷でした。
もう帰ろうかと思ったくらいでしたが、なんとか思いとどまり入場。

でもここまでのすべての不幸は
≪みどり≫の音によって優しく包まれ、カサついた心はゆっくりと1曲ごとに潤いを取り戻していきました。
来て良かったと心底思いました。
「一雨一℃」という秋の歌があって、秋雨が降るとその度に1℃ずつ気温が下がり秋が深まっていくという意味だそうです。
僕の場合は一曲一棘。そんな演奏会でした。

以前ブックピックの川上くんが
人と本の関係は、本の内容よりも、その本との出会いの方にもっと大事な意味がある。と話してくれた。
きっと演奏もそうだろう。
もちろん、いつどこで聞いても とても素敵な曲であるけれど
その曲との関係性はひとそれぞれで、それぞれの捉え方がある。それは自由とかそういう次元ではなくて。

僕はこのCDを聞く度に、頭に血が上る嫌な思い出も思い出すだろう。
でもその発熱が下がっていくような、
風邪から回復していく時のような、あの最高の心地よさも同時に思い出せる。

帰り際、知り合いも見に来ていて声を掛けてもらうが
その友人は僕のことを大森さん?という人と勘違いして暫く会話していたり、
ついこないだ分室に来てくれたお客さんと近場で目が合ったので会釈するも
「どこかで会ったことありましたっけ?」とこちらもまったく記憶になし。

最後の最後でまだ不幸は続くのかと、自分の存在感の薄さに、もうウンザリして帰路につく。
帰宅して、まだ起きている恵子さんと再会して、なぜか顔がにやけた。自分でもなんで笑うのかわからなかった。
今日はじめて顔を緩んだ気がしました。

明日からまた気を取り直して頑張ろう。
興奮して寝れないので、ドラクエをやろう。