to my beloved children/2月7日

先月末、円城小の6年生が工房見学に来てくれた時
事前にいくつかの質問を預かっていました。

幾度となく聞かれてきた質問内容でも、
地元の小学生に答えるとなると、自分の子どもに答えるのと同義。
いつものあまり考えずに定型文的な答えを一度想像してみたら、それがあまりに薄っぺらいものだったので
前日の夜は寝てもいられず、自分が納得のいく答えをずっと考えていました。

質問はいくつかあるのですが、
今日はなかでも「どうして多聞の靴が最高の一足なのですか?」の答えをここに記述しておこうと思います。

2017年、今僕ができる最大限の力を発揮して、多聞へ靴をつくることができた。
悔いのないモノづくりができた。そのことを最高と表現しました。
モノづくりでもなんでもなにかに一生懸命全身全力で取り組めることをいつも望んでいます。
でも仕事となるとなかなかそうはいきません。期日やお金の問題やら、自分の能力を十分発揮することは案外難しい。
でもでも、そんなこと考えず、もしくは考える前に手を動かす人や夢中で取り組んでしまう人がいます。
僕の師匠と妻が、そうです。二人の背中をみて僕はもの作りの姿勢を学びました。いまでも。
多聞の靴は7年間ずっといっしょに暮してきた僕が、
彼の一番の理解者であることを証明するための自分の挑戦でもありました。
靴をつくる時、その人のことをどれだけ理解し共感できるかが大事であることを改めて感じた一足。
オーダーメイドシューズのひとつの集大成だったと思っています。
いまは聞司の靴に夢中です。聞司は身体を動かすことが大好きで、かけっこも一番が好き。
彼が以前運動会で一番になれなかった時、
笑いながら「もう少し速い靴つくってね。残念だったね。」。と
速い靴をつくれなかった僕を慰めてくれました。
家族を幸せにすることが僕の靴づくりの原動力。聞司の一番を叶えるため研究中。
聞司への最高の一足をつくりたいと思っています。

自分にしかなし得ないことがきっとあると思います。
そしてそれは、やってもやらなくてもどちらでもいいことなんです。
全力でやる必要もないことなんです。
それでも無我夢中でやってしまう、やらないと気が収まらない自分に気付いたら
だれになにを言われようとも(きっと外野からは反対されます)、
その自分と向かう対象を大事にしてください。