安心安全のなかで人は育つ/12月18日

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「球技だったら自由。何をしてもいいよ。」
そんな体育の授業時間があった。
バスケだったりバレーだったり、
休み時間のように、好きな者どおし輪が形成されていく。
運動が苦手な僕はそこの流れには乗ることができず
気付けば体育倉庫でたったひとり。
こまったな。何をしようか。
バスケのボールを手に取ってみる。戻す。
バレーボールを触ってみる。
そうして、ひとり倉庫で授業終了のチャイムが鳴るまで数十分過ごした。

「自由にしてください。」
何をしても良い、本当だろうか。
友だちと仲良く輪になって遊ぶことを求められていませんでしたか。
試されると思った。
ものすごく緊張した。怖かった。
なにかの球技を誰でいいからパートナーをつくり
やりたくない気持ちを隠しながら、笑顔で遊ぶ。

こんなつらいことを学校は、将来のためといって訓練させる。
数十分倉庫で悩む自分を生徒指導の先生は見ていたにもかかわらず放置していたことも知っている。
生きる力が足りないと思っていたのだろう。
ここで放置すれば力は湧き出ると思ったのだろうか。
本当に。

安心安全でそのひとそのままを抱擁する環境の中でか
自由は存在しない。条件つきの自由という矛盾がこどもを苦しませる。
まやかしの自由というフレーズに酔いしれるおとな。

助けてと言える社会は良い社会。
でもこんな助けてと言える社会をつくり方はおかしい。
出来ない人を出来る人側へと無理やり引っ張っていくようなものだ。
出来る人が出来ない人側へと腰を落としその目線を合わせてほしい。

自由と言われた何もできない自発性のない子。
ちがう。
自由ではない限られた選択肢のなかで、しかも
そのつもりはなくても模範解答が暗示されている中で
自分の自由を発したくても
否定されるかもしれないという恐怖のなかで
だれが前に進めるというのだろう。

大丈夫。好きなことをしていい。やらなくてもいい。
そこにいていい。そう声をかけることくらいできただろう。

2024.12.18家族