久しぶりに体調崩し、精神を崩す。/11月13日
今朝、多聞の頭を叩いた。
はじめてのことだ。
彼の尊厳をひどく傷つけてしまった。
母と弟のおかげで、多聞は立ち直ったけれど
傷跡はきっと残る。本当に申し訳ないことをした。
僕は多聞の傍にいていいのだろうか。
この手でものづくりなんてしていいのだろうか。
気が付くと、手の甲にペンを打ち込んでいた。
血が出て痛かったけれど、痛めつけたかった。
そんなことをしても多聞の傷は癒えないのに。
母と弟はそんな僕も救おうとして必死だった。
それで我に返り、お父さんは大丈夫だよ、といった。でも誰とも目を合わせることができなかった。怖かった。
それから夕方までずっと寝続けた。
死人のようだったらしい。
起きて、昨日届いたばかりの14歳からの社会学を開いた。
思いがけず、しょっぱなから「尊厳」と「承認」の弾がマシンガンで撃たれまくった。
「人が幸せに生きる」ために2つの条件が必要。
まずは自由であること。
選択肢を知っていて、そこから選ぶ能力があることが重要。
自由であるためには尊厳が必要。
能力が乏しくても、自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、
自分は他者に受け入れられる存在だ、と思える。それが「尊厳」。
子供が大人になるということは、
他者たちと交流する中で「試行錯誤」を繰り返し、
「みんなはこういうことを『承認』するんだ」ということを学んで経験値を高め
「自分はたいてい大丈夫」という尊厳を得ていくことだ。
試行錯誤し、少しずつ得た「承認」が、
「自分はOK」の感覚を与えてくれる。
今の僕は、多聞にとって怖くて試行錯誤できない存在。
僕は笑っている多聞が一番好きだ。
それなのに真逆のことをしている。
だめだだめだ。