百掌往来 2020年11月号 No.4

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百掌往来 2020年11月号 No.4

こんにちは。てのひらワークス小林智行です。

【百掌往来】はてのひらワークスからみなさんへのお手紙です。

読んで捨てるもよし。

返事を書くのもよし。

友人に送るのもよし。

江戸時代には、往来物とよばれる教科書が1000種類以上も存在したそうです。

その中身は、聞く人と答える人の往復書簡。
ときにそれは、立場が逆転することもあったでしょう。

先生と生徒という立場ではなく、同じ問いに向かう対等な立場で
意見や感情のキャッチボールから、
各々が各々の答えに気付いていったのだと想像しています。

ですが、【百掌往来】を靴づくりの教科書にするつもりはありません。
続けるうちに、”成るように成る” ものと思っています。

日々の仕事や暮らしで気付いたこと、
疑問に思ったこと、お節介なこと。

ぽっと点いた、独り言のような火種です。

そのまま静かに消えていく前に、他の誰かを温めたり、灯が増えたりして、
役に立てることがあるかもしれません。

読んで聞いてくれるだけで十分有り難いです。

靴に関するご意見も、百掌往来のご感想もよかったら
tenohiraworks.kobayashi@gmail.comまでメールをください。

2020年11月30日(月)
てのひらワークス通信【百掌往来】の第4号をお届けします。

どうぞお楽しみください。

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【1】 今月のてのひらワークス       小林智行
【2】 百掌往来 vol.4 「靴をつくりたい」   山元加津子/小林智行
【3】 手考足想 vol.4 「本当に好きなもの」  小林智行
【4】 私の一足 vol.4 「おやまのくつ」     杉原美樹 /小林智行 

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【1】今月のてのひらワークス
―文・小林智行

11月14日、香川県高松市仏生山で「足と靴の相談室」を開催しました。

お申込み頂いたみなさん、足と靴と暮らしのことにしっかり向き合っていて、

お一人お一人の「足と靴」に対する考え方ひとつひとつに教わることがたくさんありました。

これは靴のオーダーが前提のこれまでの受注会というスタイルでは気付けなかったことです。

「手の倫理」という本をちょうど読んでいたときでした。
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医師の触診は身体を科学の対象として「さわる」。「ふれる」とはいわない。

僕もこれまでずっと、足に「さわり」靴を考えてきました。

その時、頭の中にあるのは自分の靴と目の前の足をどう一致させるか。

靴と同じように足もモノとして扱っていなかっただろうか。

相手の気持ちをおもんぱかる配慮はどれほどあっただろうか。

 ~手の倫理 背表紙より抜粋~

  『ときに侵襲的、一方的な「さわる」から、意志や衝動の確認、

  共鳴、信頼を生み出す沃野への通路となる「ふれる」へ。

  相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部に浸透しつつ、

  相手との境界、自分の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。』

 

科学の対象として足をとらえることは、

靴をつくるうえでとても大切な目線であることは間違いない。

でもそれだったら、靴をつくるのは人である必要はないのかもしれない。

言い換えれば、

足を「さわる」と「ふれる」その両方を行き来できる手でなければ

この先も靴をつくり続けることなどできないだろうと、自分に言い聞かせています。

【2】百掌往来 vol.4「靴をつくりたい」
―文・山元加津子(かっこちゃん)、小林智行

文 山元加津子

昔から「作る」のが好きでした。なんでも作りたい。
人が作ったものならきっとなんでも作れるんだとそんなことを思っていました。
 
でもなかなかうまくいかなかったのが、万年筆と靴でした。
万年筆は木で作ることができたのですが、
靴はなかなかそういうわけにはいきませんでした。

靴を作りたいと思ったことのひとつが、
なかなか自分に合う靴をみつけられないということでした。
 
私の足は、一般的な足とは違うようでした。
運動ができないということにも原因があるのかもしれないのですが、
ひょろひょろとして細く、そして足の甲の高さもないのです。

幅に合わせれば、靴に入るはずもなく、
長さに合わせれば、幅も高さも大きすぎて、すぐに脱げて転ぶのです。
靴の中で足があちこちに動くので、いつも靴擦れが出来てしまって、
泣きながら裸足で歩きたくなることもありました。

こうなったら自分で自分の足にあった靴を作るしかないと思い始め、
いろいろな人に靴を作りたいのだけど、
靴づくりを教えてくれる方はおられないかとお話していたころ、
あるとき、「この靴は私が作ったんだよ」という人に出会いました。
「先生に毎週教えてもらって作ったの」と。

関東の方でしたので、石川に住んでいる私にとっては難しいことでしたが、
先生につないでいただくと、
「二日間か三日間あれば、靴はできると思います。
6人くらい生徒さんがあれば行きますよ。」と言ってくださったのが、
小林ともさん一家との出会いでした。

私は作家をしていて、メルマガを書いています。
靴づくりをするんだよと言うと、
遠くても行きたいと言う人がたくさんおられました。
足に悩みを持っている人がこんなにたくさんおられるのだと驚きました。

でも、最初はすでに近くで手を挙げた6人で作ったのです。(続く)

                    

文 小林智行

まだ遠方でのWSも、合宿形式でのWSも未経験だった頃のこと。

まだ次男の聞司が1歳で、多聞が5歳。

妻一人子二人を栃木に残していくわけにもいかず

このような状況で、かっこちゃんに喜んでもらえるWSができるかどうか

実は不安でした。

かっこちゃんの呼びかけですぐにメンバーはそろって

会場も家族を見守りながらできる素敵な場所を用意してもらいました。

準備は万端にできたけれど、WSの日が近づくにつれて

靴をつくることを、本当に楽しんでもらえるだろうか。

僕の靴はかっこちゃんの作りたい靴だろうか。

別の不安が生まれてきました。

つくってみないとわからない。

履いてみないとわからない。

そんなことに付き合ってもらえるだろうか。

たくさんの不安を抱えながら、石川へ向かいました。

栃木から子供達を休ませつつ、9時間もかかって

予定時間もだいぶずれ込んで

ようやく夜遅くに辿り着いた石川のおうちで、

とてもとても温かく迎えて頂いた瞬間をいま思い出しています。

21時は過ぎていた気がします。

それでも温かなご飯を用意して待っていてくれて

いっしょに遅めの晩御飯を頂きました。

もちろん、もうやるしかない状況、自信をもってやろうと決意したこともあるけれど

かっこちゃんといっしょにご飯を食べていたら、

すごく安心することができて、不安な気持ちは消えてなくなっていました。

素敵な二日間にきっとなる。そう確信した気がします。

【3】手考足想 vol.4「本当に好きなもの」
―文・小林智行

靴づくりを始めたきっかけ。

高校時代、自分に自信がありませんでした。
この年頃はみんなそうかもしれません。
そんな僕は、着飾ることでなんとか自分に価値を与えていたように思います。

毎月のバイト代はその自己満足につぎ込む始末。
それでも中には今でも大切にしているモノもあるから
情報誌に踊らされながらも
良い買い物もたまには出来ていたんだなと思います。

そのなかのひとつにポールハーデンの靴があります。
今でも覚えています。代官山のOKURA。91,000円でした。
いまでもこれ以上の金額を靴に出したことはありません。

ポールハーデンのことを始めて知ったのは、
当時毎月購読していたファッション誌の後半にあった白黒見開きページでの特集でした。
そこには、イギリスの緑豊かな環境で
愛犬と仲睦まじく職住一体の暮らしを想像させる自宅兼アトリエの写真と
工業生産のモノづくりに疑問を感じ、手工藝の靴づくりに取り組みはじめたという
ポールハーデン氏が紹介されていました。
この時、雷に打たれたような衝撃を受けたのをハッキリと覚えています。
「滅茶苦茶カッコいい人だ。こんな大人になりたい。」

それまでの僕は、<ファッション誌>といっても、

ページいっぱいにモノが並ぶ<カタログ誌>の中から
好みのモノを見つけては、売っている場所をチェックするだけ。
そして、週末には、部活の帰りに重いラグビーバッグを背負って
表参道から原宿、渋谷、代官山、恵比寿とチェックした目当てのお店を練り歩く。

当時の僕にとって衣服の価値とは、
雑誌で紹介されていること。

新作であること。

流行りであること。

要するに、周りに効果的にアピールできることが重要でした。
他者に自分がどう映るのか、そのことばかりを考えていました。

はじめて対面したポールハーデンの靴は、

店内に設えられた小さなショーケースの中に、一足だけ大切に収められていました。
それはもう靴の扱いではなく、まるで宝物のように飾られていました。
雑誌で見たときも衝撃でしたが、実物の魅力は、それ以上。

靴の形や素材、手技の跡など、全てが好き。
思考、歴史、環境、工房の様子、愛犬との暮らし、

その全てから僕は心地よさを感じていました。

誰にどう思われるか。どう見えるか。

そんなことどうでもよく、
自分が本当に好きなものに出会う体験でした。

それから10年後、
神奈川県鎌倉の緑に囲まれた一軒家をネットで見つけ、
当時修行していた大阪からすぐに現地へ向かい、即決しました。

そこが、てのひらワークスの始まりの場所となりました。
ポールハーデンの自宅兼アトリエに
なんだか少し似ていたことは言うまでもありません。

【4】 私の一足 vol.4「おやまのくつ」
―文・杉原美樹(長女:すぎはらタオ)

<from 杉原美樹>

ともさん、こんばんは◎

お久しぶりです。姫路のみきです。

お元気でしょうか?

夜な夜な靴を磨きながら、ともさん元気かなぁと思い連絡してみました。

靴、ソール改良してくださってから、

かなり丈夫でいつも山や畑や街歩きに寄り添ってくれています。

娘のサイドゴア、いまも履けていて、彼女も山でもガンガン使っています。

でも本当に丈夫で手入れしやすく助かります。

かわいいし。

手入れ前と手入れ後の写真送ります。

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手入れ前の汚れた感じも好きです。

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毎日元気に歩いています◎

タオはサイドゴア履いて山を駆け回っています!

靴も一緒に里帰りできる気分で嬉しいです。

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―文 小林智行

みきさんとは、栃木の親友、「わたね」の倉本さんからの紹介でしたね。

倉本さんのメールの言葉から美樹さんへの深い友情が伝わってきて
お会いするのがとても楽しみでした。それが3年前でしたね。

その時にオーダー頂いた靴がこの「おやまのくつ」。
山歩きには不向きなサボタイプの靴を、ここまで履きこなすのは
僕の知る限り、美樹さんと「スターネット」の馬場さんくらいです。

今度、冬のお山でタオちゃんと鬼ごっこしたいです!

焚き火を囲んであったまりたいですね。

杉原美樹さんは、姫路の<かつらぎしぜんの学び舎>で活動をなさっています。

活動の中心であるお山は大人も子供もたくさんのことを学べる場。

それは、技術とか思想とか堅苦しいものではなく、

風や土と一体化するような体験をすることだと思います。

頭で考えなくても、身体は勝手に学んでくれていると思います。

学べる身体は、賢い身体。

<かつらぎ自然の学び舎>はきっとそんな身体の集まりです!

~あとがき~

11月25日、この1年間ずっと愛用していた

f/style(エフスタイル)さんのソックスにとうとう穴が空いてしまいました。

昨年末に購入した同色同サイズの2足を交互に履き続けていたので

当然といえば当然なのですが、落ち込みました。。

途方に暮れています。。

もう製造していないソックスと知っていたため

この1年間代わりとなるソックスを探していましたが、

それが見付つかる前に限界を迎えてしまった。

これを機に、「てのひらワークスでソックスをつくろう。」

本気で考え始めています。

少なくともこの10年間、ずっと悩んできたソックス。

その悩みを1年でも解決してくれた f/styleさんには心から感謝しています。

この快適だった1年を無駄にするわけにはいきません!

新しい挑戦を始めたいと思います!

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Director:小林智行
Special Thanks:

山元加津子さん

「かっこちゃん」

https://www.facebook.com/kakko.yamamoto/

杉原美樹さん タオちゃん 

「かつらぎ自然のまなび舎」

兵庫県姫路市林田町奥佐見688-1

https://katsuragishizennomanabiya.tumblr.com

2022.4.16百掌往来