馬場さんと再会『星の宮 地蔵庵』/7月2日
当初の予定は、朝8時の便だったが
コロナウイルスまん延の影響でそのフライトが欠航となり
夕方の便に変更することになった。
この頂いた時間をどう使おう。
いつもなら予定を詰め込んでスケジュールを立てるが
今回は空白しておいた。
馬場さんのお墓参りは昨日7月1日午前中に予定を立てていた。
でも朝から想像以上の大雨で、公共交通機関がストップするかもしれないと思い、
もしそうなったら、午後お客様への訪問も難しい。
お墓参りは、明日2日にしようと決めた。
2日の朝も雨は降り続いていた。
正直迷った。でも18時までに戻ってこれたらいい。他に予定はない。
それに天気予報をみるとお昼前後は曇りになっていた。
これから大丈夫だと思った。
なにより身体が止まらなかった。雨だろうが遠かろうが足は北へと向かっていた。
家を出る時は、天気や場所や時間、いろんな心配があったが
いとも簡単にあっさり墓前に辿り着いた。
いざ目の前にすると、何を話したらよいかわからず、ただ立っていた。
目を閉じると口が開いた。これまでのこと、これからのことをご報告した。
最後目を開けて、前を向くと、お墓の卒塔婆が大きくガタガタと動いた。
馬場さんが返事をしてくれたと思った。
間違いなく目の前にいると思った。思えた。信じれた。
ずっと動かなかった足が動いた。もう行きなさいと馬場さんの懐かしい声が聞こえた。
馬場さんと再会できた。心残りはない。
帰ろうと外門まで歩いた。
そこで天気予報が外れていたことに気付いた。
雨は止むどころか、一層雨脚は強くなっていて
とてもじゃないが歩いて帰ることは不可能だった。
タクシーを捕まえようにも、車の通りさえほとんどない。
ここは一旦引き返して
お寺の脇にあったお店?を訪ね、タクシーを呼んでもらえるか聞いてみることにした。
お寺に着いた時も帰る時も、その存在は目に映っていたけれど
気にはなっていたが寄る目的はないと判断していた。
今思えば、馬場さんが帰ろうとする僕の後ろ首根っこ掴んでお店に戻してくれたのだと思う。
10年前とかわらない。僕が色んな意味で道を間違えそうになると
馬場さんは「小林さん、そっちじゃないよ。」といつも導いてくれた。
お店に戻ろうと踵を返すと、
お店をドアを開けて、お店の方が優しく手招いていれていた。
大雨のなかフラフラと歩く僕を心配してくれていたのでした。
そういうところ、わざと気付かないふりをしてしまうところが僕にはある。
でも今日はこの流れに身を任せてみようと思った。
お店の名前は『星の宮地蔵庵』。
お店に入ると、懐かしい匂いに包まれた。展示品もどこか懐かしい。
「あぁ、馬場さんのお宅だ。」と感じた。
スターネットというよりも馬場さんの山の上のお部屋だ。
「どちらからですか?」に「岡山から」とこたえても驚かなかったのは
次の質問でよくわかった。
「伯父のお墓参りにいらしてくれたのですか?」その時すぐに理解できず「えっ」と返すと
「馬場浩史の」の説明してくださり、僕が何者なのか感じ取ってくれたようだった。
店主さんは馬場さんの甥にあたる方で、副住職さんでした。
「靴をつくっています。」自己紹介すると
副住職の奥様が「小林さんですか。てのひらワークスさん?」と僕のことを知っていてくれていて、
しかも、そっと履いている靴を見せてくれました。
もう2度も修理しながら履いてくれている
10年前に購入して頂いたオーガニックハンドルームのCOMMONでした。
こんなに感激にしたのはいつぶりだろう。馬場さんとの靴づくりはまだ続いているんだと思った。
僕が今日ここへ行きたいと思ったのは
岡山に戻ったら新しい挑戦をすることを馬場さんに聞いてほしかったからだ。
でもどうして聞いてほしかったのかというと、正直明確な答えはなかった。
今日お墓の前に立って、話を聞いてもらい
星の宮地蔵庵で、お店のことやこれからのことを聞かせてもらううちに
その挑戦が自分なりのスターネットをつくることだったからだと気付くことができた。
初心にかえる。てのひらワークスは今一度初心にかえる。
実家では、録画した『俺の家の話』を全話徹夜で観た。
スパー世阿弥マシーンが着ていた真っ赤な初心Tシャツが欲しい。