百掌往来 2020年10月号 No.3/10月31日

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百掌往来 2020年10月号 No.3

こんにちは。てのひらワークス小林智行です。

【百掌往来】はてのひらワークスからみなさんへのお手紙です。

読んで捨てるもよし。返事を書くのもよし。友人に送るのもよし。

江戸時代は、往来物とよばれる教科書が1000種類以上存在したそうです。

その中身は聞く人と答える人の往復書簡。

ときにそれは立場が逆転することもあったでしょう。

先生と生徒という立場ではなく、同じ問いに向かう対等な立場で

意見や感情のキャッチボールから、

各々が各々の答えに気付いていったのだと想像しています。

ですが、【百掌往来は】靴づくりの教科書にするつもりはありません。

これを続けながら、成るように成る。と思っています。

日々の仕事や暮らしで気付いたこと、

疑問に思ったこと、お節介なこと、ぽっと点いた独り言のような火種です。

そのまま静かに消えていく前に、他の誰かを温めたり、灯が増えたりして、

役に立てることがあるかもしれません。

読んで聞いてくれるだけで十分有り難いです。

靴に関するご意見も、百掌往来のご感想もよかったら

tenohiraworks.kobayashi@gmail.comまでメールをください。

2020年10月31日(土曜日)

てのひらワークス通信【百掌往来】の第3号をお届けします。

どうぞお楽しみください。

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【1】 百掌往来 vol.3 「素足の感覚 その後」 藤原伸広/小林智行
【2】 手考足想 vol.3 「手考」 小林智行
【3】 私の一足 vol.3 「一足の靴 YABO 後編」 前田努(マエダ特殊印刷)/小林智行 

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【1】百掌往来 vol.3「素足の感覚 その後」
―文・藤原伸広、小林智行

前回の百掌往来 vol.2 では、
趣味のランニングで足を痛めてしまった藤原伸広さんより、
靴をご注文頂くまでの経緯を紹介しました。
指先の解放感とフラットに着地できる靴を探し求めるなか、
岡山まで「てのひらワークス」を訪ねて来て下さったのは
今から2年ほど前のことでした。

そしてこの夏、藤原さんにSCHOOLとMEADOWをお渡ししました。

8月に【SCHOOL】

続いて9月に【MEADOW】を納品しました。

今回はこの2足の靴をどのように履いておられるのか
メールでの往復書簡を紹介致します。
以下はMEADOWをお渡してからの藤原さんと僕のやりとりです。

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<9月24日 from 小林智行>

藤原さん
おはようございます!
その後いかがでしょうか?
MEADOWはSCHOOLとは違い、踵周りもしっかり固定するタイプなので
擦れたりとかしていませんか?

<10月4日 from 藤原伸広>

こんにちは!
MEADOWを履き始めて約2週間ですかね。
と言ってもMEADOWを履けるのは仕事が休みの週末のみ、
しかも平日ほど歩かないのでまだそこまで歩けていません。

「足が擦れてたりしませんか?」との小林さんからのがメールが届いたとき、
実は左足の踵に靴擦れを起こしていたのでびっくりしました。
今は絆創膏を貼りながら履いています。
傷が治る頃にはMEADOWが私の足に馴染み、
私もMEADOWに慣れ、お互いもう少し仲良くなっていると思います。

そんなまだまだこれからという段階でのMEADOWの感想ですが、
MEADOWよりも先に履き始め、仕事のある平日によく履いているSCHOOLと比べてみると、
土踏まずを支えてくれて(足裏へのフィット感があって)、
踵のホールド感があって、シューベースに厚みがあって、
踵がほんの少し高いような感じがします
(土踏まずを支える盛り上がりがあるからかもしれませんが)。

そういう意味で、MEADOWには安定感があると思います。
SCHOOLはより裸足感覚を体感できます。
インソールも試してみたところ、
フィット感が増した一方で指の開放感が減ってしまったので、
とりあえずインソールなしで履いていこうかな・・・と思っています。

                 <写真提供 藤原伸広さん>
履き心地の話ばかりしてしまいましたが、
ヌメ革の表情が美しく、シンプルなデザインもとても素敵です。
もう少し履いたらまた報告しますね。

百掌往来も読みました!
今回の文章を書いたことで、
歩くこと・走ることと、靴との関係について振り返り、
見つめるいい機会となりました。
ありがとうございました。

裸足感覚が「楽しい」と感じる理由を自らに問うてみましたが、
はっきりとした答えは出ず、
一つ言えるのは身体の感覚をよく使っている状態にあるということで、
それをなぜだか「楽しい」と感じます。

裸足感覚の靴は一般的には疲れやすいかもしれないですね。
靴の機能が増せば歩くのが「楽になる」のかもしれませんが、
身体性が遠くなっていくかと思います。
それは私にとっての「楽しい」ではなくなっていきます。
てのひらワークスの靴を履いていて、
裸足感覚なのに疲れる感じがありません。
裸足感覚の「楽しい」と、裸足感覚なのに疲れにくい、を同時に叶えてくれます。
疲れにくいのはきっと足裏をしっかり支えてくれているからなのかなと想像しています。
裸足のような自由を与えてくれながら足裏をしっかり支えてくれる、
小林さんのそのさじ加減は本当に絶妙だと思います。

<10月18日 from 小林智行>

藤原さん

やはりインソールを入れた方がよさそうですね。
ゆとりが靴擦れの原因なので、
前回のSCHOOLであれば、踵周りもスポンジですし
紐を締めれば甲も抑えることができるので【ゆとり】と共存できましたが
MEADOWは調整がない分、インソール方法が最善だと思います。

指の解放感が阻害されるかもしれませんが
それこそ藤原さんのように足の指でしっかり地面を掴んでいれば
コルクが沈んでスペースもうまれ、より地面を掴みやすくなると思います。

藤原さんの歩く楽しさは、身体との対話。延々と続く自分との対話ですね。
藤原さんの言葉を受けて、
暮らしに無数にある物の中でも、【履物】ほど対話できる物はないと
気付かされました。
一生物とはこういう物のことをいうのでしょうか。

靴に足を無理に合わせることはしないでください。
いつでもご相談ください。靴との通訳は得意です。

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歩いてみつける「あう」ところ

今回、僕は藤原さんにピッタリの靴をつくることができませんでした。
それはもう本当に申し訳ないし、悔しいし、凹みます。自分の力不足を嘆きます。

靴がその足に合っているかどうか、最終的にそれを決めるのは作る人ではなく履く人。
藤原さんはここから先は自分の足で模索することを選んでくれました。

足に合っているから履くのではなく、履いた靴が足に合っていく。そういうことが革靴の世界ではよくある話です。
靴屋としては複雑な気持ちではありますが、
真に足が喜ぶ靴に出会うには、自分の足で歩いて見つける以外に方法はないと実は思ったりもしています。

いまはそんな未来を願いつつ、出来る限りサポートしていこうと思います。  

【2】手考足想 vol.3「手考」
―文・小林智行

「手で考える」その言葉をはじめて聞いたのは、
モゲワークショップ主宰勝見茂さん(通称モゲさん)からでした。

初めて聞いた時は、まったく理解できませんでした。
僕にとっては、考えるのは「頭」であり、「手」は動かすもの。
「手で考えなさい。」と言われても全く意味がわからず、
入学初日に言われたその言葉は、卒業する日になっても結局わからず終いでした。
というより、その言葉のことなど卒業して数年後の京都の河合寛次郎記念館で再び目にするまで
忘れていたくらいでした。

授業はたった1年間。週4回1日4時間で靴づくりのいろはを教わるわけですから、
様々な靴の設計方法、その複雑な手順を習得するのに精いっぱいでした。
そういうとカッコいいのですが、最初の3分の1ほどでもう頭の容量は埋まってしまい
講義の半分も理解できていたかどうか。

【モノづくり】の自分の想像を超える圧倒的な奥行きに心が折れそうになったくらいです。
その時に気付けばよかったのですが、
モノづくりはそもそも頭で理解できるものではないことは、今となればわかります。

それとモゲさんは僕らの質問には「自分で考えなさい。」と突き放し、すぐに答えを出すようなことはせず
1から10まで丁寧に教えてはくれませんでした。

モゲさんから直接教わった記憶は1つしかありません。
市切という革を切る工具を使っていたとき、
モゲさんにしては珍しく、工房内の僕ら生徒の様子を見て回っていました。

「お前は左利きか?」と後ろから声をかけられて
作業の手をとめ、「いや右利きです。」と答えると
「それじゃあ市切の使う手が逆だろう。」と言って、道具のもち方と使い方の手本を見せてくれました。
一度は教わっているはずですが、
実際に自分の手でやるとなると、僕は自分の身体の使い方もわからないレベル。
モゲさんも見ていられなかったのでしょう。

余談ですが、
高校ラグビー部の練習のことを思い出しました。
右では何も考えず投げられるし、蹴れる。
でも左は思うように動かない。そこで練習を始めました。
最初は何も考えず左で投げたり蹴ったり自由にやってみる。まあまあな感触。
次の段階で、もっとこういう角度かなとか頭で考え修正をしようとすると
これがまたみっともないほどギコチナイ動作になってしまう!何も考えずやっていたほうがずいぶんマシでした。
運動神経が悪いと言ってしまえばそれまでですが。

「手で考える」と「自分で考える」は少し似てる気がします。
頭で考えたことは、言葉で説明ができ、コピーができる。教わる人は考える必要がなく、ただ憶えれば良い。

反対に手で考えたことはどうだろう。身体が覚えたことはどうだろう。
言葉にはできず、その手を交換することもできないから、説明も伝えることもとても難しい。
市切の使い方だって、言葉で右利きは~なんて説明をうけて、頭が理解しても、手が動くとは限らない。

実を言えば、正しいもち方を真似してみても、その時の僕はまだしっくりこなかった。
身体に違和感なく使えるようになるまで、しばらく時間がかかりました。

からだに蓄積されているもので考えてみる

頭ではわかっていても、他人に教わっっても、モノをつくる感覚は磨かれない。ラグビーボールを投げる感覚も。
自分で考え、その手で考えることでしか得られないものがある。その手に蓄積されるものがある。

なんでも丁寧に教わってきた自分にとって、その1年は本当に苦労しましたが、
(自分で考えた結果、怒られてばかりでした。あんなに怒られていたのは僕だけじゃないだろうか)
おかげで、自分の無能さとモノづくりの本質を気付くことができました。
もしここでも頭でしか考えることができず、答えをコピーして、それで出来る気になってしまっていたら、
今日までそもそもモノづくりを続けてこれませんでした。きっと。

先月モゲさんがお亡くなりになられたことを友人から聞き
モゲさんと最後にお会いした日を思い出しました。
6、7年前の代々木上原の小料理店。いっしょにお酒を飲みました。
自分の役目もやり遂げたような発言もあり、とても満足そうな笑顔でした。

今度東京へ行ったら、久しぶりに同級生とモゲさんを語り合おうと思います。

【3】 私の一足 vol.3「一足の靴 YABO 後編」
―文・前田努、小林智行/写真・前田努

前回の百掌往来 vol.2 の前編では、
東京馬喰町の店での、僕が手掛けた一足の靴との出逢いの様子を綴ってくれた前田努さん。
後編では、当時暮らしていた茂木(栃木)のアトリエを訪ねて来てくれたところから
現在に至るまでを振り返ってくれました。

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▼文・前田努

靴好きの友人にもこのことを話し、4人でアトリエまで行くことになりました。
今思えば、大変失礼なことをしてしまったと思うのですが、
ショップのカレンダーに◯があることをいいことに、アポもとらず
益子駅からタクシーでアトリエの前まで、大勢で。 
後にも先にもタクシーで、突然現れたのは、僕らだけだったようで、なんともお恥ずかしい。

その日は、とてもいい天気で、アトリエの前に着くと、ちょうど小林さんが、外で作業をされていました。
突然の訪問にも関わらず、快く僕たちを受け入れてくださいました。

アトリエに入り、スターネットで靴をみた事、妻の足のことを話すと
「まずはこの靴を履いて歩いてみましょう」と妻に仮靴を履かせ、一旦全員で外に出ました。 
アトリエ横の自然の中を散歩しました。草むらを歩いたり、坂を上って下って
蜂の巣箱を見せてもらったり、草と土の感触や景色は今も心に焼き付いています。

楽しく会話しつつ、妻の歩き方をみてくださり、妻の足だけではなく腰が悪いことも
気が付いてくださり、本当にここまで来てよかったと思いました。

うまく表現するのは難しいのですが、
アトリエのやさしい雰囲気や小林さんの言葉から、靴づくりに対する実直な姿勢や
体や心への気遣い、生活と地続きにあるモノづくりのすばらしさを学ばせて頂きました。

自分のしている靴を考える仕事、決まった時期に展示会をするために靴を考える、
見かけや、売り上げや、営業マンやバイヤーの顔色を伺いながら靴を考えなければならないこと、
最悪の場合は、履いてくれるお客様を置いてけぼりにし、
お金という利益だけのために、誰も喜ばない靴を量産する環境にいる今の自分が情けなくて
恥ずかしくなりました。

僕の仕事は、作る人、販売する人、履く人、いったい誰が幸せになるんだろう。
本当の意味で気づかされた気がします。

その場では、自分の中の後ろめたさから
小林さんに自分が靴の仕事をしていると伝えることができませんでした。

そんな思いを巡らせながら
妻の足、僕の足、友人の足を見ていただき、靴を注文させて頂きました。

そして会話の中から、小林さんが僕と妻の地元の先輩であることが、判明。

妻が言うには、僕が急に目的をもって「どこかへく」と言うのは、初めてだったらしく
「行きたいね」で終わることが、ほぼ100パーセント。本当に行くことになっただけでもビックリだったようで。
さらに、僕の求めていた靴を作っているのが地元の先輩だったことには、本当にビックリしました。

当時、僕が靴の仕事をしていたことや、妻と二人で将来のモノづくりについて考え日々を過ごしていたこと
そして、この日に、小林さんに出会ったこと。
偶然の連続が続いただけかもしれないですが、何かに導かれたような感覚でした。

日々の忙しさのせいにして、頭の片隅にしまってあったことを引っ張りだし
仕事に向き合う姿勢、家族との関わり方、これから妻と二人でどんなモノ作りをするか
あらためて考える機会をくれたこの日は、僕にとって大切な1日になりました。

それから数年が立ち、息子が生まれたのを機に
妻と二人ではじめるモノづくりの場所を実家であるマエダ特殊印刷に決めました。
祖母、父、母、息子、家族との生活の中で、
妻と二人で精いっぱい正直に、モノづくりを楽しもうと決めました。

場所や作るものが違っても、真剣に正直に向き合えば、きっと誰かが一緒になって楽しんでくれる。
そして自分たちが楽しむことで、家族や関わってくれた人たちが、笑ってくれたら、それでよし。

そんなタイミングで、小林さんと再会させて頂くことになり
一緒にモノづくりをさせていただくことになるのですが、 
そのきっかけや、現在一緒にさせていただいているモノづくりに関しては、
語り尽くせないので、また機会があれば。

偶然出会った一足の靴が、僕を小林さんまで導いてくれました。
そして今もこうして一緒にモノづくりをさせて頂けることが、とても不思議です。

シール屋になった今も、大好きな靴と関わることができて何よりも幸せで、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも学ばせていただくことばかりで、いつかお返しできるようにしたいです。

その日、注文させて頂いた靴は、何度か修理していただき、7年たった今も履いています。
妻は足の痛みがなくなり、腰痛も減りました。
「小林さんの靴しか履けない!!」そんな体になりました。完全に恋に落ちています。
てのひら貯金までしているほどです。僕たちの生活にはなくてはならない存在です。

きっと、作り手と使い手が互いに信頼しあい積み上げてきたものが
てのひらワークスさんの靴なのだと思います。
なにより手作業でしか作ることのできないこの靴のありがたみを日々感じています。

▼文・小林智行

7年前に黄色いタクシーが茂木の山奥のアトリエにゴトゴトとやってきた場面も
4年前にスターネット東京の2階で再開した場面もとても鮮明に覚えています。
   
7年前は鎌倉から茂木町に引っ越して1年過ぎたころで
新しいてのひらワークスの仕事のカタチを手探りしていた頃で
実力が伴っていないのに、ひたすら背伸びをして必死でした。見えていない水面下ではバタバタだったんですよ。
お渡しして1年経たないうちに糸が切れてしまって、ご迷惑もおかけしました。
それでも口だけの靴屋だと見限らず、ずっと愛用してくれてありがとうございます。
   
4年前にスターネット東京でお会いできたときも
岡山に引っ越して間もないころで、
新しい場所で新しいてのひらワークスをつくっていこう歩き始めた時でしたが
7年前とひとつ違うのはとても僕自身リラックスしていたことです。
背伸びをせず、できることを丁寧にやるだけ。そんな気持ちでした。
前田君をはじめ鎌倉や茂木のお客様にたくさんお越しくださり、
すこし成長した自分を見てもらえる機会を頂けた有り難い企画展でした。
その節は奥様の新しい靴もご注文くださりありがとうございました。

おじいさまから続くマエダ特殊印刷を継ぎ、シール屋さんになるという話を聞いた時
仲間ができた気がして、すごく嬉しかったです。
お互いさまの関係でこれからもよろしくお願いします。

あとがき

今月を振り返えると、星空を見上げた記憶が浮かんできます。
僕が暮らしている円城台地はたくさん星を眺めることができます。
地元自慢のひとつです。

先月に引き続き、藤原さんと前田さんにご協力をいただき
無事No.3をつくることが出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。

普段の靴づくりという仕事は、他者と今を共有していることに対して
百掌往来は、今こそ共有することができないのですが
遠く隔たっているからこそ、差がうまれ、時間がうまれて
河合寛次郎の言葉をすこしお借りすれば

「(他者の)過去が咲いている(自分の)今」と
「(自分の)過去が咲いている(他者の)今」を交換している気がします。

何年も昔の【過去】の光を今に届けてくれる星々のように
たとえ何年、何十年経とうとも
遠く離れた場所の誰かが見上げてくれる小さな輝きになってくれたら
と思いながら、一生懸命今の靴づくりに励もうと思います。

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Director:小林智行
Special Thanks:藤原伸広さん 前田努さん 

2020.10.31百掌往来