てのひらワークス通信【百掌往来 2020年9月号 No.2】/9月30日

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こんにちは。てのひらワークス小林智行です。

【百掌往来】はてのひらワークスからみなさんへのお手紙です。

読んで捨てるもよし。返事を書くのもよし。友人に送るのもよし。

江戸時代は、往来物とよばれる教科書が1000種類以上存在したそうです。

その中身は聞く人と答える人の往復書簡。

ときにそれは立場が逆転することもあったでしょう。

先生と生徒という立場ではなく、同じ問いに向かう対等な立場で

意見や感情のキャッチボールから、

各々が各々の答えに気付いていったのだと想像しています。

ですが、【百掌往来は】靴づくりの教科書にするつもりはありません。

これを続けながら、成るように成る。と思っています。

日々の仕事や暮らしで気付いたこと、

疑問に思ったこと、お節介なこと、ぽっと点いた独り言のような火種です。

そのまま静かに消えていく前に、他の誰かを温めたり、灯が増えたりして、

役に立てることがあるかもしれません。

読んで聞いてくれるだけで十分有り難いです。

靴に関するご意見も、百掌往来のご感想もよかったら

tenohiraworks.kobayashi@gmail.comまでメールをください。

2020年9月30日(水曜日)

てのひらワークス通信【百掌往来】の第2号をお届けします。

どうぞお楽しみください。

百掌往来 2020年9月号 No.2

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【1】 百掌往来 vol.2 「素足の感覚」 藤原伸広/小林智行

【2】 手考足想 vol.2 「満」 小林智行

【3】 私の一足 vol.2 「一足の靴 YABO」 前田努(マエダ特殊印刷)/小林智行 

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【1】百掌往来 vol.2 「素足の感覚」―――文・藤原伸広 小林智行

≪藤原伸広≫

望む足の運びにあわせて
履きたいものが、変わっていく。

私は趣味でランニングをしていますが、
始めたのは8年ほど前からで、大人になってからです。
最初は適当に走っていたのですが、
どんどんのめり込んでいき、走る頻度、強度が上がっていきました。
あるとき走っている最中に右膝の外側に違和感が出始め、
最初は気のせいだろうと思っていましたが、
次第に痛みに変わり、とうとう走り続けることが
できなくなってしまうほどになりました。
その後、歩くときにも、特に階段の下りで痛みが続きましたが、
数日たつと日常生活に支障はなくなり、
1〜2週間ほどするとまた元のように走れるようになりました。
でも、しばらく経って忘れた頃、ランニング中に痛みが出て、
安静にすると治り・・・というのを繰り返すようになりました。
病院でMRIを撮ったこともありましたが、
異常は見つからず、医者からもこちらが納得できる説明はありませんでした。
悶々としていたときにインターネットで「腸脛靭帯炎」という
膝の外側の靭帯と膝の骨の摩擦で炎症が起きる症状を見つけました。
O脚や踵からの強い着地などが原因らしいのですが、
確かに私は凹脚で、強いかどうかは別にしても着地は踵からです。
(たいていの人は踵からの着地だと思いますが。)
そこで走り方を見直そうと思い、いろいろな情報を調べた結果、
足裏全体での着地または足の前方での着地を心がけるようにしました。
(理由は私とは違うと思いますが、マラソンのトップ選手たちの多くが
 そのような着地の仕方をしているみたいです。)
走るときだけでなく歩くときも、
踵からの着地はできるだけソフトにして
足裏全体で体重を受け止めるような歩き方を模索し始めました。
(このとき30歳を過ぎていたのですが、
 30年以上も身体に染み付いた走り方、歩き方を変えるというのは
 難しいものでした。)
走り方、歩き方をそんなふうにしようとしたときに、
それまで履いている靴では何だかうまく走れない、歩けない靴も出てきて、
求める靴も変わっていきました。
できるだけ指は解放的であること、ソールはフラットであること。
これが追求する走り方、歩き方には適していて、
ランニングシューズも普段履きも、
そして仕事用もそのような靴を探すようになりました。
これが功を奏したかどうかはわかりませんが、
ランニング中の膝の痛みは出なくなりました。

支えながらも、手を出さない。
自分で地面を掴んで歩く。

それから何年が経って、
今回、てのひらワークスの靴を手に入れました。
てのひらワークスのことは、ランニングを始めるよりも以前に、
益子のスターネットを訪れたことがあったので知っていました。
頭の片隅にずっとあって、
たびたび益子を訪れてはいいなあと思っていた憧れの靴でした。
先に書いたように理想の靴を求めるようになったときには、
てのひらワークスは岡山にあり、
簡単に行くことのできない場所となっていましたが、
もうそろそろ2年前になりますが、旅行で岡山へ行くことになり、
てのひらワークスへ訪れることができました。

本当に素晴らしい靴で、
靴を履きながら裸足のような感覚のままでいられます。
私の足裏を支えながら、余計な手は出さず、
私自身の力で歩くことを促してくれているように感じます。
歩くたび、蹴り出しや着地のときに指が地面を掴む感覚があります。
それが何だか楽しいのです。
自分の足で歩くというのは本来楽しいことなのかもしれない、
まだまだてのひらワークス初心者ですが、
そのように感じる日々です。

《小林智行》 
藤原さん。自分の足で歩くことの楽しさ。よくわかります。
<楽すること>と<楽しむこと>は違いますよね。
歩くのは移動のためで、靴は移動手段だと考えると、
履きやすい靴、疲れにくい靴、手のかからない靴。
そんな便利でラクなことばかりを求めるようになります。
実を言えば、僕も昔は良い靴とはそういうものだと信じていました。
でもそれは間違いですよね。

藤原さんが奥様と二人で、当時倉敷にあった【分室】まで足を運んでくれた日のことはよく覚えています。
その時、フラットな底の靴を希望していると話をしてくれましたね。
僕は当時てのひらワークスの履き心地をつくることに特にこだわっていた時でした。
一本の柱を立てたいと自分のことに夢中になっていて、
今振り返れば靴を誂えることを見失っていた気がしています。

藤原さんの自分の足で歩きたいという素直な願いに向き合うには、
そのてのひらワークスの履き心地が逆に邪魔になってしまう。
それを壊して新しい地表から建て直す必要がありました。

そのために何度も失敗し、大変ご迷惑をおかけしました。
最後は藤原さんが靴に寄り添ってくれる形になってしまったことも
靴屋の仕事としては不十分だったと思いますが
自分の足で歩く楽しさに、ひとつまみのてのひらワークスのスパイスがかかって
少しでも歩く楽しさを豊かにすることができたとしたら
この不十分な仕事にも意味があるのかもしれません。

次は奥様の靴ですね。気持ちを新たに頑張らせて頂きます。 小林智行

【2】手考足想 vol.2「満」 ―――文・小林智行

長男が3歳になる目前だったころ、
「青のサイドゴアシューズ」を履いてもらった記憶がある。
うっすらとしか覚えていないが、それまで何度もトライしてきた靴の中では
一番履く機会が多かった靴だったと思う。
でもそれがすごく良い靴だったかというと、その時は80点以上は確信していたが
いまその靴をみると、ギリギリ60点。

満点は何処?

当時の子育ても同じような点数だと思うけど
今の自分よりも、当時の自分の方が、
今の我が子を無我夢中で見つめていた。
それは間違いない。
良くも悪くも慣れてしまったことは事実だ。

ここでふと思う。
100点の靴って?100点の子育てって?僕はわかっているのか。
答えはNO。きっとだれもわからない。
数学のテストのように、答えは一つではないから。
そして、ものづくりにも子育てにも終わりはないと思うから。

僕はここで小学校の漢字のテストを思い出す。
平仮名を漢字にする10問。1問10点。
例えば「窓をあける。」正解は「窓を開ける。」
しかし、「あける」という漢字は他にもある。
文脈には合っていないが「明ける」「空ける」などなど。
この漢字テストはこの2つの漢字も書いてもよい。それも10点ずつ加算される。
なので、この場合は3つの漢字で30点もらえる。

100点満点という既成概念を取っ払うテストだった。
僕はこのテストのために国語辞典を本当によくめくった。
最初は家にあった三省堂国語辞典を使っていたと思うが
次第に物足りなさを感じ、広辞苑となった。
最終的には3冊の辞書で調べて、10問で400点以上の時もあったことを憶えている。

このとき、僕は漢字をたくさん覚えたが、その漢字が役に立った記憶はない。
ただその時、とてもとても楽しかった。
今こうして顔を綻ばせ、当時のことを書いていることがその証拠。

10点も100点も400点も
どれも満点でなかったが、どれも僕自身でそれ以上でもそれ以下でもなかった。
それで良かった。それが良かった。
【勉強】とは隣人と競ったり、先生に試されることだとすれば
僕がしていたことは勉強ではなく、娯楽だった。娯楽に満点はない。
娯楽は限りない欲望かもしれない。でもそれでいい。
未来のためとか、親のためとか、見栄のためとか、そういうご褒美のためではなく
学ぶこと自体が素晴らしい娯楽であり、ご褒美だと教えてもらったのである。

【3】 私の一足 vol.2「一足の靴 前編」 ――文・前田努 小林智行/写真・前田努

息子が生まれる前は、妻と二人で週末に目的地を決めず電車に乗り
その時気になった駅で降りて1日中散歩をするというのが、いつもの流れでした。
その土地の空気や建物、人の流れなどを観察しながら、歩き続けます。
妻と二人で会話をしながら歩いて自分たちのモノづくりについて漠然と考えを膨らませたり、
考えをすり合わせたりするのが、ただただ楽しかったのを覚えています。
当時、僕がしていた靴を考える仕事のことや、妻のデザインの仕事の話など、
会話のほとんどがモノづくりの話でした。

東京馬喰町での、思い掛けないモノとの出逢い。
湧いて溢れる、感情と、感覚と。

2013年春、その日はなぜだか古本が見たくなり、神田駅で降りました。
気になる古本屋に立ち寄よったあと、いつものように街歩き。 
妻が突然、馬喰町にあるスターネット東京さんに行きたいと。
妻は以前伺ったことがあるようで、
僕も益子のお店に行ったことがあったので東京のお店にも興味が湧き、いざ出発。

お店に着き、出会いは突然やってきました。

スターネットさんに置かれていた一足の靴の前で、今まで感じたことのない衝撃を受けたことは鮮明に覚えています。 

そこに置かれていた靴を手に取り
靴の中底(シューベース)が踵を覆うように立体的であったこと
程よく分厚い革をアッパーに使うことにより、ライニング(裏革)や
先芯が無くとも靴として必要な形状が保たれていること。
なにより、すべてのパーツの形が履く人の足を考えて作られているものだと感じました。

曲がりなりにも靴の仕事に携わってきて
たくさんの靴をみて回る環境に身を置かせてもらっていたけれど
こんな感情が芽生えたのは初めてでした。
靴に限らず、モノをみてこんなに興奮したのは初めてでした。

動いていくこと、平らでないこと。
それらがもたらすものに、魅せられて。

どうして世の中の靴の中底は平らなのだろうという疑問がいつも頭の片隅にあって
インソールを入れたり、アッパーの革を伸ばしたりしても、足の形に合うはずがないと
そんな疑問に答えてくれる一足が目の前にありました。

足の形状に合わせて、歩行を助ける立体的な構造を革でつくる中底は、世紀の大発明!!
アッパーも立体的な中底も革であれば、履く人に寄り添ってくれるんだって!
きっとそうなんだって!!頭の中は大興奮でした。

もっと知りたい!この靴を履いてみたい!!と頭の中は大騒ぎ。
だけれども引っ込み思案な僕の悪い性格。
この靴は一体誰が作ったのか、どのような思いで作られた靴なのかを店員さんに聞けばよいものを何も聞かず、すました顔して帰宅。

帰ってからも興奮と後悔はおさまらず、
「スターネット 靴」で検索し、てのひらワークスさんのホームページまでたどり着きました。 
栃木県茂木町にアトリエ兼ショップがあること知り
妻に「今度のゴールデンウィークに行きたいんだけど」、と話しました。
陸上で酷使し変形した足で、いつも気に入らない靴を履いている妻には
「てのひらワークスさんの靴を履いてもらいたい」と伝えました。

まずは相談してみようと。きっと大丈夫。 

後編10月号へ続く。

≪小林智行≫
僕の靴にそこまで衝撃を受けてくれていたとは、素直にとても嬉しいです。
僕がモノづくりを始めたのは大学を出てからで、22歳がスタートでした。
それまで割と成績は良いほうで、
「やればできる」「人並かそれ以上の結果は出せる」といい気になっていた22歳で
靴づくりも同じさと、たかをくくっていたのですが、
いざやってみるとこれが全く思うようにできない。30人強のクラスでしたが、
後ろから数えた方が早い劣等生でした。
こんなことってあるのかと正直かなり凹みました。
それでもなんとか途中で放り出さずに卒業までこぎつけ、
もっと上手になりたくて、慣れ親しんだ東京の真逆の大阪を修行の地に選び、
義肢装具会社で経験を積み、モノづくりもなんとか一人前になってきたころ、
また少し生意気になってきたころです。僕にも衝撃の出会いがありました。
それは妻が教えてくれた一冊の本【自分の仕事をつくる】。
その中のスターネット主宰馬場浩史のインタビュー記事でした。
それはもう軽い過呼吸になるくらい、寿命が縮まったかと思うほどの衝撃でした。
靴をつくる仕事でこの社会に飛び出していこうとしていた時で、
具体的には「オーダーメイドシューズ」と「靴作り教室」という
従来の真似事しか思いつかなかったのですが、
馬場さんの言葉から「人はどう生きるか」「仕事とはなにか」深く自分を見つめ直し、
【自分の靴の仕事をつくる】とはなにか、その答えをしっかり持って開業しようと、
その時決意したことを思い出しました。

てのひらワークスという屋号は馬場さんの言葉に触れ、
スターネットを訪れて、その感動から浮かんできたものです。

前田さんと僕を繋いでくれたのもスターネット。きっと偶然ではないですよね。

あとがき
収穫の秋。田んぼは美しい黄金色に染まりました。
靴の仕事と米の仕事の両立に休みなく動き回っていた9月でした。
身体は心地良い筋肉痛、頭は新しい靴を考えることに夢中。
それがとても良いバランスで、こうも良いと不思議と疲れなど全く感じません。

僕は寝る前に野口整体の活元運動をします。
頭を休ませ、身体の無意識運動を呼び起こし、
身体に自由に動いてもらうことで、ひとりでに整体をしてくれます。

身体は常に動いている。日常生活では、僕はそれを無理やりに御し、止めている。
動かすことではなく、止めることに力を注いでいる。不自然に。
それを解除してみよう。自由に動きを許そう。自然に。
疲れるどころか、逆に力が溜まっていく気がします。
秋は実りの季節、蓄える時。

Director:小林智行
Interlocutor:藤原伸広 前田努
Supporter:

2020.9.30百掌往来